平成27年2月3日(火)~平成27年4月5日(日)
近世 筥崎宮(はこざきぐう)の楼門(ろうもん) <神社の門>
2 聖地史蹟名勝「筑前 筥崎八幡宮」 |
江戸時代、福岡を旅した学者と地元の学者の間で「敵国降伏」の額をめぐって論争がありました。天明(てんめい)3(1783)年、福岡にやってきた岡山の地理学者古川古松軒(ふるかわこしょうけん)(1726-1807)は、その紀行文『西遊雑記(さいゆうざっき)』で、額を見て「至(いたり)て古く見へし額にて筆者見へず…がてんのゆかぬ事を書記(かきしる)して雅(みやび)なりといふ、解(げ)せず」と書いています。その後、地元福岡の国学者青柳種信(あおやぎたねのぶ)(1766-1835)は、『筑前国続風土記拾遺(ちくぜんのくにしょくふどきしゅうい)』(文化(ぶんか)11<1814>年以降成立)のなかで、額字は延喜(えんぎ)の醍醐天皇(だいごてんのう)(885-930)直筆(じきひつ)の字を模して額にしたものであり、額字の由来を知らない古松軒の説を批判しています。
近代 旧福岡市動植物園の門 <動植物園の門>
3 旧福岡市動植物園の門(馬出小学校) |
戦後の新しい動植物園は、昭和28年に中央区南公園に設けられ、旧動植物園の地には昭和24年に福岡中学校が開校し、「ゾウの門」は学校の校門として利用されました。その後、昭和59年に福岡中学校にかわって馬出(まいだし)小学校が移転し、「ゾウの門」は校門としては使用されず、小学校の敷地の一角に保存されました。
平成4(1992)年に「ゾウの門」は修理復元され、鉄筋コンクリート造り、高さ約4m、左右上部のゾウのオブジェは強化プラスチック製になりました(図3)。平成24年には福岡市登録文化財に指定されました。
現代 福岡市博物館の正面ゲート <ミュージアムの門>
博物館の建物は、昭和63(1988)年、アジア太平洋博覧会(通称よかトピア)のテーマ館として百道浜(ももちはま)の埋立地に建てられました。その後、平成2(1990)年には外構工事の一環として、前庭の南側に正面ゲートが設けられました。ゲートの中央に高さ12・74m、横幅10m、奥行き5mのアーチ門を建て、左右4つずつの壁柱がサークル状に配置されました。壁柱は中央から外にいくほど低くなっています。よかトピア通りを歩くと、アーチ門と壁柱の間から博物館のさまざまな姿が見られます。また、正面ゲートは正面玄関のアーチ門と対になり、正面ゲートに立てば、風のない日には前庭の池の水面に博物館の建物全体が映り込むように設計されており、隠れた見所となっています。博物館は平成4年に福岡市都市景観賞を受賞しています。
福岡市美術館や福岡アジア美術館には門はなく、建てられて四半世紀を迎える博物館の正面ゲートを、ミュージアムの門としてじっくり観察されてはいかがでしょうか。 (林 文 理)