はじめに
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博多遺跡群の発掘調査
(地下鉄建設計画地) |
千を超える遺跡がある福岡市は、年間40件前後の発掘調査が行われており、全国的にみても発掘調査件数の多い地域です。発掘調査の多くは、「記録保存」を目的とするものです。これは開発や土木工事により遺跡が失われるため、発掘調査を行って、測量図面、写真などで遺跡の情報を記録して後世に伝えるためのものです。発掘によって出土した遺物(埋蔵文化財)は調査事務所や埋蔵文化財センターにて修復や保存処理がなされ、大切に保管されています。「発掘調査報告書」は調査によって得られた遺跡の情報を凝縮したものですが、出土遺物についても、できるだけ多くの図面と写真を掲載するように努めており、誰でも図書館等で閲覧できるようになっています。
しかし、膨大に蓄積した埋蔵文化財の全てを一般公開することは容易なことではなく、博物館などで展示できる資料は発掘調査出土品のごく一部にすぎません。
「ふくおか発掘図鑑」と題した展示も今回で5回目を迎えますが、毎回、資料選びには頭を悩ませています。これまで、最新の調査成果の紹介を中心としてきましたが、収蔵庫には埋もれている重要な資料も数多くあり、企画展示はそれらを掘り起こす良い契機でもあります。今回は、これまであまり注目されてこなかった遺跡にもスポットを当てつつ、旧石器時代から福岡城の時代に至る福岡市内の遺跡と出土遺物を紹介します。
氷河期を生きた人々の道具
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竹べらで「台形石器」をとりあげる
(井尻B遺跡) |
福岡で旧石器時代や縄文時代の遺跡はあまり多くありません。当時の人口が少ないということもありますが、弥生時代以降の開発や都市化によって消滅した遺跡が少なくないと考えられます。南区の井尻(いじり)B遺跡は西鉄・井尻駅近くの市街地にありますが、奇跡的に旧石器時代の地層が残っていました。その形状から「ナイフ形石器」、「台形石器(だいけいせっき)」と呼ばれる、狩猟用の刃物として使用された石器などが出土しています。石器作りの屑や失敗品なども多くみつかっており、道具作りを含む暮らしの場であったことがうかがえます。石器の組み合わせから、時代は後期旧石器時代の後半段階、約一万五千年前と考えられ、氷河期を生きた人々の足跡を今に伝えてくれます。
交易と権力の証し
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弥生時代の石権
(比恵遺跡群) |
博多区の比恵(ひえ)遺跡群は、弥生時代、「奴国(なこく)」の代表的な遺跡の一つです。その125次調査では、また面白い発見がありました。1世紀頃の井戸から出土した石製品は、棒秤(ぼうばかり)に吊す分銅の役目を果たす重りで、「権(けん)」と呼んでいます。交換取引の基準となるもので、その統制は「権力」に通じるものです。弥生時代の類例は少ないですが、壱岐市原の辻(はるのつじ)遺跡で銅製品、鳥取県青谷上寺地(あおやかみじち)遺跡などで石製品が出土しています。いずれも交易の一大拠点と考えられる遺跡です。