平成27年2月24日(火)~4月26日(日)
はじめに
毎年くり返されるこうした様々な行事・催事の情報を、博多を中心に丁寧に集め、自らの見聞手記をもとに一冊にまとめた本が佐々木滋寛(ささきじかん)編『博多年中行事』です。刊行されたのは昭和十(一九三五)年のことでした。戦後大きく変わっていく人々の暮らしの、その少しだけ前の姿が、この本には描かれています。
本展では、『博多年中行事』に記載された多くの行事の中からあえて、一般にはあまり知られていないと思われるものをとりあげてみました。編者が「昭和ひとけた」の時代に見聞きし、この本に残した記録を頼りに、ちょっとだけ時空を超えた散歩に出かけてみましょう。
① 五大力(ごだいりき)祭 (博多区中呉服町(なかごふくまち))
五大力菩薩縁起絵 (選擇寺蔵) |
中呉服町の選擇寺では、今も一月十一日に五大力祭が行われています。この日だけは本尊・阿弥陀如来(あみだにょらい)像の前に、忿怒(ふんぬ)の形相(ぎょうそう)をした五体の仏像が出され、ふだんこれらが安置されている場所には、その由緒を説く絵が掛けられます。
左上に描かれた大福帳に注目してみましょう。かつて正月十一日は、その年に使う帳簿を新しくととのえる大切な日でした。いわば商家の仕事始めです。その日にもたらされたとされる五大力菩薩は、商人たちの信仰を集めてきました。「講会」の様子を『筑前国続風土記附録』(一七九八年)は「商人等群集して尤(もっとも)賑ふ」と記しています。また大福帳の裏に五大力菩薩の名を記す風習があったことも『筑前名所図会』(一八二一年)から知ることができます。
② とびとび (早良(さわら)区石釜(いしがま)ほか)
農家の者は藁(わら)で穴あき銭をつなぐさしを作つて米や餅をもらうた。
子供たちは藁で馬の形を造つて村内から米や銭をもらひ、絵馬を求めて氏神に奉納し、互に懇親会を行うた。
今では藁馬の代りに半紙に馬を描いて配る村もある。
博多の「とびとび」は、早くに消えてしまいましたが、福岡市内の各地で、今もよく似た行事が受け継がれています。
一月十四日の夜に藁の「トビ」をかぶった子供が藁馬などを携えて家々を訪れる「石釜のトビトビ」(早良区石釜)、一月二日に蓑笠を着た子供が家々を回る「金隈(かねのくま)の鳶(とび)の水」(博多区金の隈)、年末に子供たちが大根にさした松竹梅と半紙に描いた馬の絵を配って回る博多区那珂(なか)の絵馬配り行事などは、かつての「とびとび」のすがたを今に伝える、貴重な生きた記録といえるでしょう。