平成30年6月5日(火)~8月5日(日)
山笠と法被
写真2 箱崎縞でつくられた登板法被
博多祇園山笠は、流ごとに毎年当番町を定め、その町が中心となって山笠が運営される慣わしです。当番町を務めることは町の名誉であるとともに大きな責任を伴うものでした。
当番町を務めることになると、「長法被(ながはっぴ)」と呼ばれる膝丈ほどの法被を皆で新調することが慣例でした。そのためこれは「当番法被(とうばんはっぴ)」とも言われています。長法被は山笠に関わる儀式や会合など、さまざまな場面で用いられる儀礼服であり、祭り期間中の常用着でもありました。
ちなみに古くは山笠を舁(か)く時は締込(しめこみ)ひとつの姿でしたが、近代に入り半裸であることが公序良俗に反するとの風潮が高まると、丈と袖の短い「水法被(みずはっぴ)」が着られるようになりました。
現在は長法被の多くが久留米絣(くるめがすり)でつくられていますが、かつては博多に近い箱崎(はこざき)で生産されていた箱崎縞(はこざきじま)も使われていました。箱崎縞の当番法被はほとんど現存しておらず、当館にも上魚町(かみうおのまち)の当番法被(写真2)が一着収蔵されているだけです。
明治時代の法被には縞柄が多く用いられていました。それも細い縞ではなく、遠目でも判別できる幅の広い縞模様であるのが特徴です。また、縞に限らず、十字、井桁(いげた)などの幾何学模様や、図案化した文字を配したものなどもつくられるようになりました。古くからの柄を踏襲(とうしゅう)することも多いですが、町によっては新調の際に違う図柄を採用することもありました。
町ごとに固有のデザインをもった法被は、一目で着用者の所属がわかる目印の役割を果たしていました。山笠の世界では、法被を身につけることは、町自体ひいては流、山笠全体を背負っていることと同義と捉えられます。法被は山笠の覚悟や心意気を表したものでもあったのです。