平成30年6月12日(火)~8月26日(日)
戦時ポスターの世界
銃後の国民に向けて戦争への自発的協力を求めるポスターは、国債購入、貯蓄、軍人援護、資源供出、志願兵募集などのテーマで作成されました。図柄は、前線兵士や兵器、戦争の目標を描いたものと、銃後の国民の理想的な姿を描いたものが多く見られます。ポスターを見る者には、前線兵士と労苦を共有し、戦争の目的を理解し、銃後の国民にふさわしいふるまいを身につけることが期待されました。ポスターのフレーズは、「たのむぞ石炭」のように読者へ向かって発される文言や、「いざ見せん俺等の実力」のように読者を含めた銃後の国民から発されたような言葉が用いられました。
ポスター「たのむぞ石炭」
(原案:高橋春人)
駅弁ラベルにみる戦時
おもに鉄道駅で販売される弁当(駅弁)は、起源は諸説ありますがおよそ明治一〇年代に誕生したとされています。明治二〇年代後半には折り箱に掛け紙(ラベル)が使用されるようになりました。ラベルは、明治時代は木版刷が主でしたが、大正時代から昭和時代初期には石版刷となり、その後はオフセット印刷も使用されます。印刷技術の向上とともに、駅附近の観光地を描いた色鮮やかなラベルが多く製作されました。駅弁ラベルは広告・デザインとして成長を遂げます。
日中戦争が始まってから、駅弁ラベルにも戦争の影響が見られるようになります。まず、兵士や兵器、日章旗などの戦争を象徴する図柄が採用されました。また、文言には「輝く戦果に感謝の貯蓄」、「総力戦一人一人がみな戦士」といった戦時標語が使用されました。標語は駅弁の特性上、「米一粒も国家の資源」のような食料に関するもの、「輸送力は兵器だ」のような輸送に関するものが多く選ばれています。また、軍用列車で移動する兵士に支給される弁当(軍弁)も多く製造されました。
駅弁ラベル(かしわ飯)
駅弁ラベルからは、当時の食料事情をうかがうことができます。折尾駅(現 北九州八幡西区)で販売された「かしわ飯」のラベルには、「本日は肉なし日」とスタンプが捺されており、食料を節約したことがわかります。昭和一五年、物価高騰への対策として駅弁にも公定価格が導入され、駅弁ラベルに「公」の文字が印刷されました。翌年には、価格高騰を止める意味の「停」の文字が印刷されるようになります。米の不足が顕著になると、米の代わりにサツマイモなどを使用した「代用食」駅弁もあらわれました。戦争末期には駅弁がほとんど販売されなくなりました。 (野島義敬)