平成30年8月7日(火)~10月14日(日)
写真1 絹地博多節文様風呂敷(部分)
博多のお座敷歌として知られる「正調博多節」(大正一〇〈一九二一〉年)に、
博多帯締め 筑前絞り
歩む姿が 柳腰
という一節があります。また北原白秋(きたはらはくしゅう)の出世作『思ひ出』(明治四四〈一九一一〉年)に収められた「紺屋(こうや)のおろく」のなかにも、
にくいあん畜生は筑前しぼり、
華奢(きゃしゃ)な指先濃青(こあを)に染めて、
金の指輪もちらちらと。
と筑前絞りが登場します。いずれも絞り染めの着物を小粋に着こなす女性の姿が目に浮かぶような名文句ですが、ここに登場する筑前絞りとはいったいどのようなものだったのでしょう。
筑前絞りと総称される染め物には、筑前国那珂(なか)郡博多(現・福岡市)の博多絞りと、同夜須(やす)郡甘木(あまぎ)村(現・朝倉市)の甘木絞りとがありました。 『福岡県物産誌』(明治一二〈一八七九〉年)によれば、博多絞りは「今ヲ距(へだて)ル百五十年前」すなわち江戸時代中期(享保〈きょうほう〉年間〈一七一六~三六〉頃)からあったらしく、 いっぽうの甘木絞りは「七十年前」の江戸時代後期(文化〈ぶんか〉年間〈一八〇四~一八〉頃)の創業で、広く知られるようになったのはこの「十四五年来ノ事」(幕末から)だったといいます。
博多における最も古い絞り染めの記録は、江戸時代の博多百科ともいえる『石城志(せきじょうし)』(明和〈めいわ〉二〈一七六五〉年)にみえる「紅絞(べにしぼり)所々にて製す、最美好也」という記述だといわれています。 当時は、私たちに馴染み深い藍(あい)染めの紺(こん)などではなく、茜(あかね)や紅花(べにばな)を用いた赤い絞り染めが特産物に数えられていたのが興味深いところです。
写真2 木綿地縞に双葉文様長着
また『筑前国続風土記附録(ちくぜんのくにぞくふどきふろく)』(寛政(かんせい)一〇〈一七九八〉年)にも「博多中嶋町(なかしままち)・麹屋番(こうじやばん)・掛町(かけまち)等に絞染工数家あり。紅・藍・紫種々の模様を絞る」とあって、 博多の絞り染めが様々な色を用いて作られていた様子をうかがい知ることができます。
当時その評判は、遠く江戸にまで広がっていたらしく、これまた江戸風俗の百科事典といえる喜田川守貞(きたがわもりさだ)『守貞漫稿(もりさだまんこう)』(天保(てんぼう)八〈一八三七〉年起稿)が次のように記しています。