市制施行130周年記念
福岡市 これまでとこれから2
令和元年7月17日(水)~10月27日(日)
景観の変遷と遺跡
福岡市の人口は、令和元(2019)年5月時点で158万人を超えており、福岡市制が敷かれた明治22年の約5万人の30倍になっています。政令市の中では人口増加率が最も高い都市(平成27年国勢調査による)です。
市制施行後、周辺町村との合併により市域が拡大し、住宅地の開発によって人々の生活範囲が広がっていくと同時に、それまで遺跡として認知されていなかった場所でも発掘調査が実施されるようになりました。野方(のかた)遺跡は、高度経済成長期も終わりを迎える昭和48年の宅地造成の際に、土器などが発見されたことで調査が開始されました。この遺跡は、弥生時代の終わりから古墳時代のはじめにかけて営まれた、墓域を伴う大規模集落として知られています。国の史跡に指定された後は、閑静な住宅街の中で公園として整備・公開され、まちの一部になっています。
まちの人口が増加する一方、農村地域では農業従事者の減少、高齢化が進行していきます。1980年代には、より良い生産効率を求めた土地の改変、いわゆる圃場(ほじょう)整備が盛んに実施され、それに伴って大規模な発掘調査が行われました。国史跡に指定された吉武高木(よしたけたかぎ)遺跡からは、弥生時代の墓域と多彩な副葬品、大型建物跡等が見つかり、弥生時代の「クニ」の始まりや社会構造を考える上で重要な遺跡であることが確認されました。近年「やよいの風公園」として整備され、市民の方々が参加するさまざまなイベントが開催されています。
このように、調査後、保存公開される遺跡は少数です。大部分は写真や図面による記録保存のみにとどまり、調査が終わった土地には建物や道路がつくられ、人々の営みが続けられていきます。そこでは少しずつ姿を変えたまちや農村地域の新たな歴史が刻まれ、数百年あるいは数千年後、再び遺跡として調査される日が来るのかもしれません。
かわっていくもの かわらない想い
福岡市内では年間を通して多くの民俗行事が行われていますが、時代によって少しずつその形も変化してきました。博多の夏を彩る博多祇園山笠が、電線の普及によりその高さの変更を余儀なくされたことは有名です。そのほかの民俗行事でも、基本的なかたちは変わらずとも、担い手の高齢化や地域の人口減少、周辺環境の変化によって、使用する道具・材料など細部に変化が見られます。社会や生活の様子が大きく変わっても、幸せに生きたい、健康に過ごしたい、無事に育ってほしい、平穏に過ごせる世の中になってほしいなど、人々の願いは、はるか昔から変わらずに存在しています。現代にも残る絵馬やいのりを込めた人形、まじないの道具、節目ごとの儀礼などはそのあらわれと言えるでしょう。