役所とハンコ
令和3年4月1日(木)~6月20日(日)
役所とハンコの変容
平安時代の後半以降、律令体制における役所は徐々に衰微していきます。一方、文書に記す名前のかわりとして花押(かおう)(一種のサイン)が登場しました。その後、花押そのものがハンコ化しました。
また、中世商人が居住した博多の街の発掘調査では、石などに植物の図柄などを彫ったいろいろなスタンプが出土します。各種の工芸品などに利用したと考えられます。
江戸時代の役所とハンコ
江戸時代、幕府や諸藩は、新たな行政組織を整えました。例えば江戸の町の行政や司法を担当したのは町奉行で、町奉行所という役所が建てられました。福岡藩でも「郡役所」などの役所が建てられ、行政文書には役職者のハンコが押されるようになりました。郡役所の跡は発掘調査が行われ、役所建物の跡や瓦・文房具など様々な遺物が出土しました。
近代の役所とハンコ
明治時代の当初は江戸時代の「郡―村」がそのまま引き継がれました。その後、数度の変更を経て、明治21年(1888)、市町村制が法律化されました。行政府におけるハンコの押印ルールも整えられ、商取引等に使用するためのハンコの登録制度も出来上がりました。
新しい時代へ
金印以来2000年の歴史の中で、役所とハンコは様々な変遷を遂げてきました。その長い歴史の後、福岡市はハンコレスを開始しました。押印義務の廃止によって電子申請化が進み、行政手続きの負担軽減や申請者の利便性の向上、処理の迅速化などが見込まれています。 (米倉秀紀)