鉄のはなし
令和4年2月1日(火)~4月3日(日)
鉄滓が示す土地の性格
さらに、鉄滓が見つかることで、その時代の土地はどのように利用されていたのかを知ることもできます。石丸古川(いしまるふるかわ)A遺跡(西区)からは、鞴(ふいご)の羽口(はぐち)や鉄滓などの製鉄関連遺物が出土したほか、緑釉陶器(りょくゆうとうき)や越州窯青磁(えっしゅうようせいじ)といった限られた身分の人しか手に入れることができなかったものも見つかりました。ここには官営の製鉄工房があったのかもしれません。
また、元岡(もとおか)・桑原(くわばら)遺跡群(西区)では、50基近い製鉄炉が見つかっています。出土した鉄滓や炉壁の総量は、なんと78トン。こうした大規模な製鉄施設は、遠(とお)の朝廷(みかど)・大宰府(だざいふ)が関連していると考えられます。新羅(しらぎ)や唐(とう)の国と距離的に近い北部九州は、対外軍事的な最前線でした。ここは、そのための武具をつくる鉄を生産する場所だったのでしょう。
さて、話はまだまだ尽きませんが、今回はこのぐらいにしておきましょう。鉄滓を通じて見えてきたふくおかの歴史、ほんの一部ですが楽しんでいただけましたでしょうか。
- 註1 この企画展示解説は、故・深江嘉和氏が語るという形式で福薗美由紀が記述しました。
- 註2 今宿平野周辺には約500基の古墳が分布していることが確認されている。
- 註3 本多勝一1964『ニューギニア高地人』朝日新聞社
- 註4 「民衆の鉄、王の鉄」は、村上恭通氏が1998年の著書『倭人と鉄の考古学』で使用した用語。