OMOU(思・想・念)ところありて…
令和4年2月1日(火)~4月17日(日)
万葉集をOMOU
客観的筋道をたどる頭の働き「考え」に対して「思い」は愛しい人を想像する「想い」や恋情などの強い「念い」など、どこか感情的で主観的なところを含む心の働きになります。多彩な「おもい」を集大成した歌集があります。万葉集です。はるか昔に生きていた人々の多彩な「於母比(おもい)」が表現されたものです。悲喜交々(ひきこもごも)の心の働きが様々に歌われています。これを紐解いてみると、21世紀を生きる私たちと、8世紀に生きていた人々が、繋(つな)がっていく感じを覚えました。時代が遷(うつ)っても、人の本質は変わらないのではないか、ということです。OMOUという言の葉に導かれ、心の世界を旅していきましょう。
愛する人を想(おも)う
万葉集では、この歌のように誰かを想う歌が多くを占めています。「幾ら恋(こ)い慕っても逢えないものだと分かっていながら、こんなにあなたと離れて暮らすのは耐え難い」と歌っているのです。想い続けることは、共に居ることに比べると、難しいことなのでしょうか。これは現代にも通じます。遠距離恋愛中の二人や単身赴任中の家庭には、共感できるところも多いでしょう。万葉の時代、歌に乗せて伝えるのは、言葉の力で想いを実現させることでもありました。
室町時代から、意中の人に盃をすすめることを「想差(おもいざし)」、それを受けるのを「想取(おもいどり)」と言うようになります。想いを行動でも伝えるようになるのです。婚礼の三々九度の盃事などは、これに由来します。愛する人と鴛鴦(えんおう)の衾(ふすま)の下で共に過ごし、やがては子供に恵まれる。幸せのひとつの姿がここにあります。子供の誕生・成長を願う数々の形があります。歌仙蒔絵(まきえ)重箱もそうですが、歌の持つ力が意識されているようにも思えます。
子等を思(おも)う
子供たちを詠(よ)んだ歌は万葉集にはあまりありません。思うのは妻か夫か恋人が主でした。ところが室町時代に始まる能では、子を思うことも主題になります。失った子供を探す母の役に使われる曲見(しゃくみ)という面(おもて)は、人生の苦渋を知り尽くした年長(とした)けた女性の相貌(そうぼう)をしています。「おもう」の語源が顔(面(おもて))に現れる心のうちの作用とされることは能の面との関係を示しているようです。
母の子への思いが如何に強いか、それを語るものに、死してなお、この世に残した赤子にお乳をあげようと、毎夜飴屋(あめや)に現れた、飴買い幽霊の話があります。この伝説は各地にあり、福岡市の安国寺(あんこくじ)(中央区)には、その母子の墓もあります。母の愛の強さを悲しみと共に語り伝えています。
筆をとって今にも記そうとする女官の頭から、何かが吹き出ている小町幽霊図があります。幽霊に見えますが、どうも違うようです。今、彼女が書こうと思うことが現れているのです。それは飴買い幽霊の話に見えます。涙する姿に「おもい」が透けているのです。わざわざ「おもい」と題を付けた飴買い幽霊図もあり、その姿は女官から出る吹き出しの形と似ています。幽霊も「おもい」の産物とされていたのかもしれません。
念(おも)い恋う
「たとえこの身が、あなたからは遠い存在となっても、心だけはいつも変わらず、あなたを念い続ける」と控え目ながらも一途な強い念いを歌ったものです。これに対して能には、深い情愛を包み隠すことなく、恋に狂う女の役があります。それに使われる近江女(おうみおんな)という面は艶(なま)めかしさを隠していません。
他界した愛しい人にもう一度逢いたい。それは切実で危険な想(おも)いです。焚(た)けば死者の魂を呼び戻し生前の姿が現われる「反魂香(はんごんこう)」の煙で亡き人に再会する。この話は、漢の武帝が先立たれた婦人を念(おも)い恋(こ)うあまり、禁断の香を焚いて煙の中に面影を見た故事によるものです。反魂香の煙に現れる亡者(もうじゃ)の描かれ方も吹き出しです。能の演目にもなりました。
九州芦屋(あしや)を舞台にした能「砧(きぬた)」には、謡(うたい)の中に「思ひの煙」と言う詞章が出てきます。人を火のように熱く激しく念い焦(こ)がれていることの例えです。念いには煙が必要なのです。江戸時代、煙草(たばこ)のことを「思い草」と呼びました。それは煙草を嗜(たしな)むことは、煙に乗せて誰かに想いを届ける尊い時間だったからかもしれません。煙草盆(たばこぼん)を嫁入道具として誂(あつ)らえているのも、単なる趣向ではないことを裏付けています。