OMOU(思・想・念)ところありて…
令和4年2月1日(火)~4月17日(日)
念(おも)い死ぬ
「ここは言霊(ことだま)の国。口に出す言葉は、善かれ悪しかれ必ず現実のものになる」だから軽率な発言を不吉としたのです。思い余って恋人の名を呼ぶなどは以ての外で、その人に危害が及ぶとされました。念い焦がれてその身は死のうとも、口にしてはいけなことでした。
念死(おもいじに)は平安時代の説話に見られます。見目麗(みめうるわ)しい僧安珍(あんちん)が、熊野参詣の途中に一夜の宿で逢った清姫(きよひめ)から一目惚(ひとめぼれ)され、別れ際に清姫に「熊野詣(くまのもうで)の帰りにまた立ち寄る」と安珍が空約束(からやくそく)を口にしたばかりに起こった悲劇です。いっこうに来ない安珍を探した末に見つけ、逃げる彼を追う清姫は、恋の炎を燃やし、姿は徐々に蛇に変わっていきます。最後には道成寺(どうじょうじ)の釣鐘(つりがね)に隠れた彼を焼き殺してしまう。安珍が口にした再会の言霊は、死で現実になってしまいます。後を追って、清姫も川に身を投げて念死します。言の葉が恋人たちを翻弄(ほんろう)したのです。
このままでは大変ですが「道成寺縁起」では、二人の霊を僧らが読経で成仏させていますので安心してください。能では清姫は真蛇(しんじゃ)の面で激しく舞います。
おもう事を夢に見る
ところで、江戸時代の浮世草子(うきよぞうし)には、「思う事をかならず夢に見るに、うれしき事有、悲しき時あり」とあります。初夢が吹き出しに描かれた絵を見ると、漫画のようで、何かほっとします。
偲(しの)び懐(おも)ふ
形見(かたみ)は、亡くなった人と思いを繋ぐもの、「偲」は万葉仮名では「思奴(しぬ)」と充てられ、そばに居ない人を想うことです。肖像画などで先祖を偲ぶことは、江戸時代に隆盛した孝子(こうし)顕彰(けんしょう)に繋がりました。それは過去を皆で「懐(おも)う」ことだったのです。戦地から家族に宛てた手紙を整理したアルバム、往時の情景を描いたスケッチも、何かを偲び懐うきっかけとなりました。「思出草(おもいでぐさ)」と言いました。
愛する妻へ
妻に対する愛は、万葉の頃から現代まで、変わりません。愛(いと)しい妻は「念妻(おもいづま)」と万葉仮名で記されています。
先立つ夫から妻への想いが記された遺書(いしょ)、それは時空を越えた恋文(ラブレター)です。また、余命短きを悟った夫が、妻や家族友人らへ「残念(のこるおもい)」を綴った会葬御礼(かいそうおんれい)があります。私は、これを手にした時、心打たれ、溢(あふ)れ出る涙が止まりませんでした。
最後の解説板には空白があります。御覧になった皆さんがそれぞれの「思い」をそこに映(うつ)してください。展示は、それで完成します。OMOUところありて…人は時空を越えて生きていけるのです。
万感の思いを込めて(福間裕爾)