福岡の青銅器展
令和4年4月19日(火)~6月12日(日)
はじめに
弥生時代を代表する遺物に青銅器があります。青銅は銅と錫(すず)の合金で、東アジアの青銅器は紀元前2千年より以前に中国で製作が始まり、朝鮮半島を経由して日本列島に伝わりました。地理的に大陸に近い福岡周辺には、日本列島でもっとも早い、弥生時代前期(紀元前5~3世紀頃)、福津市今川遺跡などで銅剣の加工品が出土しています。
銅剣・銅矛・銅戈
本格的に青銅器が出現するのは弥生時代中期初め(紀元前3世紀頃)で、銅剣(どうけん)・銅矛(どうほこ)・銅戈(どうか)という武器がほとんどです。これらの武器は首長の威信を示すもの(威信財)として、所有者が亡くなると墓に副葬されました。福岡市西部にある早良平野では、吉武遺跡群・岸田遺跡・東入部遺跡などで多くの青銅製武器が出土していますが、その中でも吉武高木遺跡3号木棺墓から、銅剣2本・銅戈1本・銅矛1本とともに、朝鮮半島製青銅鏡と硬玉(こうぎょく)(翡翠(ひすい))製勾玉・碧玉(へきぎょく)製管玉が出土し、「鏡・玉・剣」を持つ「日本最古の王墓」と呼ばれています。
青銅器の生産
青銅製武器が朝鮮半島からもたらされてさほど時間がたたないうちに、日本でも同じタイプの青銅器が生産され、その後、変化を遂げていきます。剣・矛・戈や鐸(たく)は大型化し、実用的な道具から祭祀の道具へと変化しました。また巴形(ともえがた)銅器のように日本独自の青銅器も生産されました。福岡市博多区の比恵遺跡群や那珂遺跡群では、青銅器の鋳型や溶かした銅を入れた「取鍋(とりべ)」など、青銅器を生産するための道具類が多く出土し、青銅器の生産センターであったと考えられています。
銅鏃
弥生時代中期後半以降(紀元前1世紀以降)になると、さまざまな青銅器が増えていきます。中でも銅鏃(どうぞく)は市内各地から50点以上出土しています。西区の今宿五郎江遺跡では27点、博多区の雀居(ささい)遺跡では8点出土しています。弥生時代後期は、魏志倭人伝に記載されている「倭国大乱」の時代で、あるいはそれと関連するかもしれません。また銅鏃の中には、先端部の断面形が三角形を成しているものがあり、中国の弩(ど)(矢の発射機)に使用される鏃で、中国製とみられます。