福岡の青銅器展
令和4年4月19日(火)~6月12日(日)
工具
弥生時代の青銅製工具として鉇(やりがんな)と鋤先(すきさき)があります。鉇は現在の台鉋が普及する前にあった木材を削る道具です。出土量は少なく、市内で3点のみが確認されています。鋤は地面を掘り起こすための道具で、木製の柄に青銅製の先端部をつけて使用します。市内12遺跡から25点以上出土していますが、多くは、使用などによって割れており、完全な形は数点しかありません。
銅鐸
銅鐸と言えば、関西から東海地方の大きなものが有名ですが、北部九州で出土する銅鐸は高さ10㎝ 内外の小銅鐸がほとんどです。市内では8点出土し、中には音を鳴らすために中に吊り下げた棒(舌)が入っているものもあり、音を鳴らす道具であることがわかります。
一方、本州の銅鐸は弥生時代後半期に大型化し、叩いて音を出すとともに「見る銅鐸」に変化します。祭祀的な要素がより強くなったと考えられます。
銅銭
弥生時代には中国製銅銭が見つかっています。福岡では約20 点見つかり、ほとんどが短期王朝であった新王朝時代(西暦8~23年)に作られた「貨泉」です。この他に「五銖銭」が1点出土しています。銅銭は「お金」として中国などとの取引に使われていた可能性や、青銅器の原料として中国から輸入していたとも考えられそうです。
銅鏡
紀元前1世紀頃になると中国製の銅鏡が王墓などに副葬されます。春日市の須玖岡本(すぐおかもと)遺跡(奴国王墓)、糸島市の三雲南小路(みくもみなみしょうじ)遺跡(伊都国王墓)ではともに30面前後の中国鏡が、一つの甕棺から出土しています。弥生時代後期(1~3世紀)には日本製の鏡が製作されるようになります。日本製は中国製鏡のデザインや銘文を真似た文様がつき、小ぶりなものが多いようです。