動作と道具「とる」
令和4年8月17日(水)~10月23日(日)
◆植物を「とる」
人類は自然のなかで自生する植物を採取することから始まり、縄文時代に作物を栽培し始めたと考えられています。その後、弥生時代以降に大陸から伝わった稲作は、歴史のなかで栽培の技術や道具の改良を繰り返しながら今日まで連綿と続いています。
稲作の場合、田起こし、田植え、除草、稲刈り、脱穀調整といった流れに沿ってさまざまな道具があり、その一部は弥生時代から見ることができます。
稲刈りは、弥生時代の石包丁による穂首刈(ほくびが)りに始まり、古墳時代前後から鉄鎌を使った根刈(ねが)りに変化します。稲穂から籾を外す脱穀の工程は、古くは扱(こ)き箸(ばし)と呼ばれる道具で一本一本もぎとっていましたが、江戸時代に千歯扱(せんばこ)きが登場します。これは稲穂を歯と歯の隙間に差し込み、手前に引き抜くことで脱穀できる画期的なものでした。
ほかにも、縄文時代から弥生時代前半には、石鍬(いしぐわ)を使って栽培した芋などの根菜類を収穫していたことが分かっています。近年に至るまで、山芋などを収穫する際には、周囲の土を掘るための鉄製の細長い棒などが使われてきました。
また、発掘により、大規模な平安時代の製塩遺跡が見つかった海の中道遺跡(東区)からは、製塩に必要な藻を刈るために使われたと考えられる鉄製の鎌が出土しています。現在も、志賀島(しかのしま)(東区)や玄界島(げんかいじま)(西区)などでは、メカリガマと呼ばれる鎌が使われており、浅瀬の海藻を刈ったり、長い竿の先端に取りつけて海中の海藻を刈りとったりしています。
――さまざまな「とる」――
人は平等に齢をとり(重ね)、その姿を記録するために写真や映像を撮ります。時には、魅力的な人物や物事に出会った際に、心をとられる(奪われる)こともあるでしょう。また、夏場は涼を、冬場は暖をとり、季節に合わせた生活をします。
「とる」という行為は、食料を得ることだけにとどまらず、私たちの生活全般にわたって密接に結びついているようです。(米倉秀紀)