防人(さきもり)たち
令和5年1月17日(火)~4月23日(日)
2 元寇と武士団
日本に初めて国家規模で侵攻して来たのがモンゴル人が建てた元王朝です。文永11(1274)年、と弘安4(1281)年の2度に渡って元軍が北部九州に襲来しました。いわゆる元寇(げんこう)です。
鎌倉幕府は、文永の役以前から九州に所領を持つ御家人に対し、九州で防備につくよう命じ、九州在住武士団などとともに元の襲来に備えていました。
文永の役の後、博多湾岸のほぼ全域に石築地(いしついじ)(元寇防塁)が築かれましたが、その築造は九州各国武士が分担しました。藤崎遺跡では、防塁の南側約250mのところに、防塁と平行して深さ1m以上、幅3m以上の濠が掘られており、防塁と関連する遺構と考えられます。
元寇の2度に渡る戦いの様子を今に伝えるのが「蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)」です。竹崎季長が自分の戦いの功績を描いたもので、現在は宮内庁が所蔵し、国宝に指定されています。主人公の竹崎季長は、肥後国竹崎郷(現在の熊本県宇城市小川町)の出身と思われる武士で、絵詞には、竹崎季長の他にも菊池武房(きくちたけふさ)、江田秀家(えたひでいえ)など肥後の武士が多く登場します。
3 太平洋戦争
昭和16(1941)年に始まった太平洋戦争は、昭和18年以降、日本が敗退を重ね、昭和19年末、米軍のB-29による本土空襲が始まり、それは日を追うごとに激しくなっていきました。そのような中、日本陸軍は、米軍の本土上陸に備え、部隊の大移動を行い、東北にいた部隊を福岡周辺に移動させています。第57師団司令部などが糟屋郡篠栗町、歩兵第52連隊が糸島郡前原町、歩兵第132連隊が香椎町に配備されました。しかし日本が、米軍上陸前にポツダム宣言を受諾したため、これらの部隊は戦うことなく、終戦後1か月で東北の郷土に復員することができました。
おわりに
この展覧会の初日は1月17日阪神淡路大震災の日です(平成7年)。その後の福岡西方沖地震(平成17年3月21日)、東日本大震災(平成23年3月11日)、熊本地震(平成28年4月14日・16日)が起きた日付は、ちょうどこの展覧会の会期と重なっています。戦争や地震をはじめとする災害は、大きな被害を引き起こします。この展覧会が「戦争」や「災害」を考える契機となれば幸いです。
東日本大震災で被害に遭った陸前高田市立博物館(岩手県)が昨年11月に再び開館しました。震災から11年8か月の後のことです。同博物館は昭和34年に開館した東北初めての公立登録博物館です。(米倉秀紀)