小絵馬―祈りと願いの図像学
令和5年5月23日(火)~ 7月17日(月・祝)
●福岡周辺の小絵馬
小絵馬には四角形、五角形、屋根型など様々な形態がありますが、福岡周辺では鳥居形の小絵馬が多く確認できます。
過去の記録や残存が確認できる小絵馬の中から、福岡周辺に伝わる特徴的な小絵馬を紹介します。
◆拝み図 祈願する本人の礼拝姿を描いた拝み図は、馬図と並んで最もポピュラーな図柄です。中でも、一風変わったものとして、おきあげ(絵柄を布や綿で立体的に盛り上げた押絵)を使った小絵馬が確認できます。
拝み図絵馬は、崇福寺(そうふくじ)(博多区千代)内の旭地蔵や吉塚地蔵(博多区吉塚)などに現在も奉納されています。
さらに、寿福院(博多区冷泉町)やこぶれき地蔵(東区志賀島)などで、かつて奉納された小絵馬が残されています。
また、寿福院の御本尊は子安観世音菩薩として安産や子育て祈願の信仰を集めていることから、堂内には風船を持った子どもの図柄の絵馬もみられます。
◆縁切り図 男女を背合わせにした小絵馬は縁切りを意味しています。奉納先で有名なのは別名・縁切地蔵と呼ばれる於古能(おこの)地蔵(早良区野芥(のけ))です。地蔵の石を削って飲み、同時に相手にも飲ませると、その悪縁を切れるといわれ、男女の縁だけでなく、あらゆる悪縁を切るとして各地から参拝者が訪れています。
他にも、戦前まで長宮院(ちょうぐういん)(旧大名町)が縁切り図絵馬の奉納先として有名でした。祭神のお綱大明神(通称・お綱様)は福岡の代表的な怨霊伝説の主人公で、次のような話が残っています。
寛永年間頃、2代目藩主・黒田忠之は江戸参勤からの帰途、大坂島之内の遊女であった采女(うねめ)を身請けし、福岡に連れ帰ったが、側近の浅野四郎左衛門に下げ渡しました。浅野の妻のお綱は2人の子どもと家来である善作とともに箱崎の下屋敷に追いやられました。その後、月日が経ち、お綱は2人の子どもを刺殺し、薙刀を小脇にして大名町の本宅へ暴れ込むも、夫は登城していて留守であり、邸にいた明石彦五郎という浪人に切り伏せられてしまいました。お綱は深手を負いながらも城内へ向かいましたが、城門までたどり着いて悶死してしまいます。
福岡城の本丸から扇坂へ下るところにあったその門は、後に、お綱門と呼ばれ、柱木に触れると熱病に冒されると恐れられました。そして、お綱の霊は長宮院に男女の性愛を呪詛するお綱大明神として祀られました。長宮院は福岡大空襲で焼失し廃寺となりましたが、その後、お綱様は旧大名町の眞光院(現・糸島市二丈福井に移転)に祀られています。