博多祇園山笠展22/幔幕3 -山笠と幔幕-
令和5年6月13日(火)~8月15日(火)
当館は、開館以来、様々な角度から博多祇園山笠の歴史や文化を紹介してきました。22回目を迎える今回は、山笠の時期に博多の町々でみられる幔幕(まんまく)に注目します。幔幕は空間を隔て、装飾をするために横に長く張り渡す広く大きな布のことです。布を縦に縫い合わせたものを幔、横に縫い合わせたものを幕といいますが、これらを総称して「幔幕」と呼んでいます。
さて10メートルに及ぶものもある幔幕は、博多の年中行事である松囃子や山笠、放生会などに欠かせない町の共有具の一つです。とくに山笠の時期は、各町の詰所に張り巡らされ、空間を仕切る役割を果たすだけでなく、山笠の台に巻く「台幕(だいまく)」としても使われてきました。また幔幕は、町ごとに特徴的な意匠をもつものが多くあります。本展では、山笠における幔幕の使われ方に加えて、個性溢れる幕のデザインについて紹介します。
◆ 幕を仕立てる
幔幕は、子供、若手、中年、年寄からなる博多の年齢集団と関わりがあります。このうち若手は町内運営における実働部分を担っており、幔幕も若手(15~25歳頃の男性からなる若者組)が製作してきました。
かつては若者組から中年組に移るときの記念として幔幕や栄重、膳、椀、鉄鍋、酒器などを整え、町内に残す風習がありました。これらの共有具は、町内の人々が年中行事のほか婚礼や葬儀、賀祝い(年祝い)などで使用することができました。
また、幔幕の製作年に注目すると山笠の当番町を務める際に新調したものが多く、若者たちの山笠に対する意識の高さがうかがえます。
◆ 山笠における幔幕
―もうひとつの「台幕」
山笠における台幕(だいまく)は、杉壁(すいかべ)と舁き棒の間に張り巡らせる赤もしくは紺地に櫛田宮と祇園宮の神紋をあしらったものを指しますが、舁き棒から下の部分を巻く幕も「台幕」と呼ばれています。この「台幕」は全ての町や流(ながれ)で使われる訳ではありませんが、現在は山笠が建設されてから舁き出されるまでの期間に用いられています。
幔幕を「台幕」として用いた経緯については不確かな部分もありますが、記録から明治25(1892)年には使われていたことが分かっています。
また、『博多物語』(大正9・1920年刊)には「当番町は山を舁き終るや毎日山笠の前後に幕を張り」と、山笠期間中の幔幕の使われ方が述べられています。
―特別な空間をつくり出し、空間を彩る
山笠期間中、幔幕が張られる場に詰所や山小屋があります。詰所は、寺社の境内や建物の一画につくられる関係者の臨時集会所です。そこは連絡や直会(なおらい)が行われるほか、様々な世代が町内の歴史や文化を伝える場でもあります。
各町が張り合うように仕立てた華やかな幔幕は、山笠という特別で非日常的な環境を支えています。また明治17(1884)年以降、風雨を避けるために山小屋が建設されるようになると両壁に幔幕を張る町内も出てきました。
さらに幔幕は、この一年に亡くなった山笠功労者に対して自宅前に山笠を舁き入れ、感謝の意を表す慣わし「追善山」の際にも用いられています。遺族が設ける祭壇は幔幕で囲まれるのです。