嶋井家文書の世界
令和5年9月5日(火)~ 11月5日(日)
本年6月27日、当館所蔵の「嶋井家文書(しまいけもんじょ)」878件984点のうち、戦国(せんごく)時代から江戸(えど)時代の古文書(こもんじょ)704件781点が国の重要文化財(美術工芸品/古文書)に指定されました。「嶋井家文書」は、戦国時代から江戸時代初期にかけて全国的に活躍した嶋井宗室(そうしつ)(天正(てんしょう)15年以前は宗叱(そうしつ))(?~1615)を世に出した博多(はかた)の豪商(ごうしょう)嶋井家に伝来した古文書群です。重文指定は、「嶋井家文書」が福岡市の歴史を紐(ひも)解(と)く歴史資料としてだけでなく、とくに戦国時代末期から江戸時代初期にかけての日本の政治史、文化史、経済史、対外交流史に関する重要な史料群として高い学術的価値を認められたものです。
本展では、重要文化財指定を記念して、嶋井宗室・信吉(のぶよし)・正則(まさのり)3代にかかわる古文書を公開し、「嶋井家文書」の多彩な内容の一端を紹介します。
Ⅰ 嶋井宗室をめぐる人びと
「嶋井家文書」には、宗室の幅広い活動を反映し、天下人(てんかびと)の織田信長(おだのぶなが)・豊臣秀吉(とよとみひでよし)をはじめ、大友宗麟(おおどもそうりん)・小早川隆景(こばやかわたかかげ)・石田三成(いしだみつなり)・宗義智(そうよしとし)・筑紫広門(ちくしひろかど)等の武将、千利休(せんのりきゅう)・古田織部(ふるたおりべ)等の茶人との親密な交流を示す手紙が多数残されています。
宗室は天下の3名物(めいぶつ)にあげられる「楢柴(ならしば)」の茶入(ちゃい)れをはじめ名物茶道具を多く所有していたことで知られていました。松井友閑(まついゆうかん)書状(図2)は、織田信長がわざわざ宗室のために京都(きょうと)で茶道具披露の茶会を催すことを伝えた招待状です。信長の御茶頭(おさどう)や右筆(ゆうひつ)を務め、堺代官(さかいだいかん)も兼ねた友閑が、堺商人の塩屋宗悦(しおやそうえつ)・銭屋宗訥(ぜにやそうとつ)・津田宗及(つだそうぎゅう)等に宗室に出席を促すよう信長の意を伝えています。堺商人に対しては「御望(おのぞ)みにおいては各(おのおの)同道(どうどう)候(そうらい)て御上(おのぼ)り尤(もっと)も候」と付(つ)けたりの扱いで、信長がいかに宗室を優遇していたか分かります。名物披露の茶会は、6月1日、本能寺(ほんのうじ)において開催されます。信長が明智光秀(あけちみつひで)に討たれた本能寺の変の前日です。
利休が宗室に宛てた直筆(じきひつ)の手紙(図3)は、その約1年後に出されたものです。利休は畿内(きない)を離れた宗室を懐(なつ)かしむとともに、秀吉が山崎城(やまざきじょう)(京都府大山崎町(おおやまざきちょう))から大坂城(おおさかじょう)(大阪市中央区)に引っ越したことや、秀吉が宗室を懐かしがり再会を心待ちにしていること、秀吉が宗室所持の名物茶入「楢柴」の噂をしていること、徳川家康(とくがわいえやす)が秀吉に「初花(はつはな)」の茶入を贈ってきたこと等、秀吉の近況を詳しく知らせています。宗室・秀吉・利休3人の親密な関係が文面にあふれています。