手仕事の美と技 ―博多張子―
令和2年4月28日(火)~7月12日(日)
はじめに
「博多張子」は、日々の暮らしの中で愛され続けている伝統工芸品の一つです。日々の行事の縁起物、伝統芸能の用具として人々から親しまれてきました。現在は福岡県知事指定特産民芸品に選ばれています。
その製法は、張子の型に和紙を張り重ね、彩色を施すものです。一つ一つ手作業で作られる博多張子には、手仕事の「技」が隠れ、工芸品としての「美」が備わっています。
1 張子とは
張子は張抜(はりぬき)(張貫)とも呼ばれ、その人形は張人形ともいいます。
張子の製法は室町時代に中国から伝来し、初めは「転不倒(てんぷたお)(不転翁(ふとうおう))」と呼ばれた「起き上がり」だといわれています。それをヒントに、室町時代の代表的な玩具である「起き上がり小法師(こぼし)」が作られ、人気を博しました。その後、京都・大阪地方で盛んに作られるようになります。
博多張子は、江戸時代中期に上方(関西地方)の人形師茂七が伝えたのが始まりといわれています。戦前は博多旧土居町など十数軒の製作者がいましたが、現在は2軒のみが伝統を引き継いでます。
2 暮らしに根付く博多張子
博多張子は、郷土玩具や伝統工芸品としての側面がある一方、祭礼や縁起担ぎ、成長祈願といった暮らしの習俗と密接に結びついています。博多張子が関係する代表的な行事や習俗を紹介します。
①おきゃがり
「おきゃがり おきゃがり おきゃがりやい。よんべ(夕べ)生まれた おきゃがりやあい。」
昭和30年代頃までは大晦日に歌うような売り声とともに、大風呂敷に張子の姫だるま(女だるま)をたくさん包んで売り歩く人がいました。各家の軒先で数個をまとめて転がし、よく起き上がり、恵方を向いたものが縁起物として買われていました。そして、神棚に飾り、七転び八起きの意味で正月の縁起を祝いました。現在は見ることができなくなった博多の風物詩の一つです。
②十日恵比須
十日恵比須は、1月8日から11日にかけて十日恵比須神社(博多区東公園)で行われる正月の大祭です。一年間の開運、商売繁盛、家内安全、無病息災、農・漁業の豊作や豊漁などの祈願が行われます。その参拝の楽しみの一つに「福引」があります。その景品の中には、張子で作られた恵比須だるまがあります。これは「福起こし」に由来する縁起物として親しまれています。
また、現在あまり見られなくなりましたが、参道付近には、数々の縁起物を笹に付けた「さげもん」と呼ばれる福笹(ふくざさ)を売る露店があり、それを求めて帰る人もいました。この縁起物の宝珠(ほうじゅ)、鯛、フグ、小槌なども張子で作られていました。
③博多どんたく港まつり・松囃子
5月3・4日に行われる博多どんたく港まつりでは盛大なパレードが行われます。その先頭は博多松囃子の三福神(福神・恵比須・大黒)と稚児の行列です。その後ろに、老若男女が思い思いの装いで歩く「通りもん(どんたく隊)」が続きます。中には博多張子で作られた面を身に付けて練り歩く人々もいます。
松囃子の三福神のうち男恵比須は馬に跨(またが)り、烏帽子をかぶり緞子(どんす)の服、紫の袴を纏(まと)った出で立ち、左脇に大鯛を抱え、右手には張子の鯛がついた竿を持ちます。また、2日間かけて博多部の商店や企業、福岡地区の市役所、護国神社などを訪れ、祝い巡ります。その時、恵比須流(ながれ)は張子の鯛を持参します。
④初節供のお祝い
博多には、初節供を迎える男児に張子の虎を贈る古習があります。それは虎を神聖視し、崇拝する中国の俗信に由来します。そのため、魔除けや厄除けとして、また、虎のように強く逞(たくま)しく健やかな成長の祈願でもありました。
張子のトラは小さいものから大きいものまでサイズは様々です。大きいものであれば、子どもが跨ることもできたそうです。それ程、頑丈に作られています。
⑤博多仁和加
博多仁和加は、博多弁を使った即興劇で、会話の最後を掛詞で落とす約束事があります。題材として日常生活や世相を反映させたユーモアあふれる芸能です。
その際にかぶるボテカヅラは張子の製法で作られています。また、同時に身に着ける仁和加面(半面)は張子ではなく、主に厚紙で作られますが、張子職人が絵付けをし、製作することもあります。