展示・企画展示室

No.579

企画展示室1

戦争とわたしたちのくらし31

令和4年6月14日(火)~8月21日(日)

家族に宛てた手紙

 多くの人びとが動員された日中戦争・太平洋戦争期は大量の軍事郵便が往来しましたが、制度上は軍事郵便でないものの、内容面では軍事郵便と呼べるものも数多く存在します。それは、訓練、海外派遣のための待機、後方の陸軍病院、海軍施設で軍務に従事するなど、国内にいた兵士から家族に宛てられた手紙です。本展示では、これらの手紙も広い意味での「軍事郵便」として紹介します。

軍事郵便(昭和16〜17年)
軍事郵便(昭和16〜17年)

 昭和13年(1938)に中国大陸に派遣された兵士は、派遣の日時を妻に知らせる手紙とは別に、妻と子どもへ遺書を送りました。中国大陸からの手紙は軍事郵便となり、目的地が伏せ字にされています。手紙には、妻の健康と子どもの成長を気遣う言葉が綴られました。この兵士は、前線で病にかかり国内の陸軍病院に移送されました。入院を知らせる手紙には、妻に心配をかけることと、「銃後の皆様方にわかったらきまりがわるく申訳がない」気持ちから、手紙を送ることを苦悩したと書かれています。前線兵士が手紙を書く時、その視線は家族だけでなく、銃後の国民にも向けられました。

 昭和15年に召集された兵士の訓練中の手紙には、訓練場として「平尾の射撃場」や日出生台演習場(大分県)が登場します。演習場から妻に送った手紙では、福岡の空が恋しいことや自身が元気であることを伝え、妻の体調を尋ねています。この後、南方に派遣されてから妻に宛てた軍事郵便には、足を負傷したが心配ないという自分の近況報告と、家族の安否確認が記されました。兵士の手紙は、自身の状況を家族に伝え、家族の健康を案じるものでした。

戦争末期・戦後に書き残されたモノ

 昭和18年(1943)以降、戦局は悪化し、物資・人員の不足が深刻化します。同年10月には、従来在学中は徴兵が免除されていた高等教育機関の学生のうち、理工系と教員養成系を除く文化系の学生が徴兵されるようになりました(学徒出陣)。徴兵された学生が友人に残した詩には、兵士になることへの決意が述べられています。

徴兵された学生の詩
徴兵された学生の詩

 軍港の警備や新兵の教育を行う佐世保海兵団に勤務した男性が家族に送った手紙は、制度上は軍事郵便ではありませんが、部隊による検閲が行われたことを示す検閲印が捺されています。昭和20年の手紙は、家族の体調を気遣う言葉とともに、戦局が非常に差し迫った状態にあることが繰り返し書かれ、銃後も前線も一致して戦争に取り組む必要があると記されました。同年8月14日、日本政府は連合国軍によるポツダム宣言を受諾することを決定し、翌日にラジオ放送で国民に知らせました。9月2日には降伏文書への調印が行われ終戦を迎えました。

 終戦後、国外にいた人びとは日本本土に順次帰還しました。ただ、戦争末期にソ連軍の捕虜となった人びとは、ソ連領内に連行され長期間止められました。これを抑留といいます。抑留者は、専用のはがきを使用して日本の家族、親族に連絡を取りました。抑留者の帰還は、昭和22年から31年までの長期間にわたりました。人びとのくらしが平常に戻るまでには多くの時間が必要でした。(野島義敬)

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pressrelease

休館日

開館時間
9時30分〜17時30分
(入館は17時まで)
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休館日
毎週月曜日
(月曜が祝休日にあたる場合は翌平日)
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