第33回新収蔵品展「ふくおかの歴史とくらし」
令和3年11月16日(火)~令和4年1月30日(日)
一 福岡藩の文化
慶長5(1600)年の関ヶ原の戦い後、筑前国の領主となった黒田長政は小早川秀秋の居城であった名島城(東区)に入りますが、広い城下町を建設するために翌年から博多の西側に福岡城(中央区)を築きました。
城下町には5万人ほどの人々が暮らし、中には武家だけではなく、学者や絵師、刀工など専門的な役割を担う家臣や職人がいました。例えば、福岡藩を代表する儒学者の亀井南冥は天明4(1784)年に開学した西学問所(甘棠館)の祭酒(学長)になりました。
また、江戸時代前期の狩野派宗家の絵師・狩野昌運は、福岡藩4代藩主黒田綱政に招かれ、晩年は福岡藩御用絵師を兼務して、江戸と福岡を行き来しました。
さらに、福岡藩の代表的な刀工の一派をなしていた信國家。信國家は初代吉貞が黒田長政によって城下に招かれ、多数の家臣の刀の需要に応じました。
その他に、福岡城やその周辺で採取した瓦や壺など考古資料からも福岡藩の歴史や文化をうかがうことができます。
二 都市の発展
明治22(1889)年、「福岡」と「博多」は一体となり福岡市が誕生しました。その後、近隣町村との合併や都市化により、現在160万人を超える人口を抱える大都市に発展しました。本コーナーでは都市の発展を支えた人びとのくらしを物語る資料を紹介します。
昭和初期には福岡市とその周辺の名勝を案内する地図、絵葉書、冊子類等が多数刊行され、当時の福岡の風景をうかがうことができます。昭和51(1976)年9月には、天神地区発展に大きく寄与した天神地下街が開業しました。
博多織や博多張子など多くの伝統工芸品が都市の生活を彩り、その製作技術は現在まで受け継がれています。また、現在は製造されていませんが、かつて博多の名産と謳(うた)われた博多絞は、戦前まで多くの人びとに愛用されました。
福岡を代表する祭礼行事の博多祇園山笠では、水法被を身に着けた男性たちが山笠を舁いて市内を勇壮に駆け巡り、その様子は活気に満ち溢れています。
三 日々のくらし
日々の生活のなかでは、多種多様な道具が使われます。日用品や娯楽用具、漁具、信仰用具など、さらには戦時下の生活を伝えるものまで様々です。本コーナーでは、ふくおかの人びとのくらしを伝える資料を紹介します。
福岡市には玄界島、小呂島などの島しょ部があり、漁業を中心とした生活文化が形成されています。収集資料には海産物の採捕・選別道具や運搬具、婚礼などの慶事に用いる熨斗などがあります。
白黒テレビや電気ミキサーなど、昭和30年代には電化製品が普及し始め、人びとの生活が便利になりました。近年では家電も近代資料として収集の対象となってきています。
各種出版された観光案内書や釣りのガイドブックからは、人びとの日常生活に生じる余暇の過ごし方がうかがえます。
信仰用具には、博多区那珂で毎年12月31日の夜に行われる「絵馬上げ」の大絵馬があります。子どもたちが半紙の絵馬と松竹梅の枝を挿した大根掛け声をかけながら地域を回り、那珂八幡宮に大絵馬を奉納しました。
戦時期のくらしを伝える資料として昭和戦中期に出征した兵士が家族に宛てて送った葉書を、台紙に貼り付けてアルバムにしたものがあります。また、昭和戦時期には紙も重要な資源とされ、戦争遂行や国民生活に必要なものへ優先的に配分されました。紙の配分が得られない雑誌などは休刊、廃刊を余儀なくされたことも収集資料から分かります。