展示・企画展示室4

No.521

企画展示室4

弔いのすがた

平成30年8月28日(火)~12月16日(日)

黄泉戸喫(よもつへぐい)
石室に副葬された土器(クエゾノ5号墳)

石室に副葬された土器
(クエゾノ5号墳)

古墳に供えられた須恵器と魚骨(羽根戸E8号墳)

古墳に供えられた須恵器と魚骨(羽根戸E8号墳)

 『古事記』などに記されているイザナギが死んだ妻イザナミを追って黄泉(よみ)の国に行く説話には黄泉戸喫(よもつへぐい)という言葉が出てきますが、これは黄泉国の食物を口にすることを意味します。古代には、あの世の食物を口にした者はこの世に戻ることができないという観念があったようです。古墳時代の後半から日本列島では横穴式石室(よこあなしきせきしつ)が普及するようになり、石室の中や入口などに須恵器(すえき)を並べ置く風習も広がっていきます。このような埋葬に際して供えられた土器のなかには 動植物が遺(のこ)っているものがあり、死者に食物を供献(きょうけん)していたことがうかがえます。この供えられた食物は黄泉戸喫、すなわち、死者が黄泉の国の住人となる食事を象徴するものであり、そこには死者がこの世に戻って死の穢れや災いを生者におよぼすのを防ぎたいという気持ちが込められていたと考えられています。

 福岡でも5世紀後半頃のクエゾノ5号墳(早良区)の時代からこのような風習が定着しはじめ、羽根戸(はねど)E8号墳(西区)など小規模古墳が増加する6世紀後半から7世紀に普及します。

 羽根戸古墳群では馬具(ばぐ)や刀装具(とうそうぐ)などを須恵器の杯(つき)にいれて供献した特殊な事例もあるほか、鍛冶(かじ)や製鉄にともなって排出される鉄滓(てっさい)を石室の入口などに供える「鉄滓供献(てっさいきょうけん)」 がいくつかの古墳でみつかっています。鍛治の火を神聖視する信仰があるように、鉄生産に関わった集団にとって、その生産過程で生じた物は残滓であっても特別に扱うべきものであったのでしょうか。

 北部九州はこのような鉄滓供献古墳が多い地域の一つですが、中でも油山(あぶらやま)から早良平野の山麓にかけて分布する古墳群に集中しています。古墳時代の後期、当地域は鉄や鉄器の一大生産地であり、鉄滓供献はその生産に関わった集団の埋葬習俗と考えられます。

極楽往生(ごくらくおうじょう)
石積みの基壇を備える墳墓(香椎B遺跡第8次調査)

石積みの基壇を備える墳墓
(香椎B遺跡第8次調査)

 遺体を火にかけ遺骨を容器に納めて埋葬する火葬墓(かそうぼ)は仏教の経典にもとづく葬法です。日本では8世紀初めから広まりますが、平安時代頃までは限られた貴族や僧侶の埋葬方法でした。

 平安時代後期以降は経典などを埋納する霊場(れいじょう)と墓地が複合する事例がみられるようになります。11世紀から経典を地下に埋納する経塚(きょうづか)が営まれるようになりますが、これは社会不安を背景とする末法思想(まっぽうしそう)や浄土信仰(じょうどしんこう)によるものでした。香椎(かしい)B遺跡(東区)や浦江谷(うらえだに)遺跡(西区)では平安時代後期から鎌倉時代を中心とする上位階層の墓地がみつかっていますが、その一部の埋葬には、経典を埋納する容器と類似する中国陶器を納骨器(のうこつき)とするものや、経塚と共通する構造の施設を構築しているものがみられます。

 極楽往生を願う浄土信仰が弔いのすがたにもあらわれています。 (森本幹彦)

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pressrelease

休館日

開館時間
9時30分〜17時30分
(入館は17時まで)
※2024年7月26日~8月25日の金・土・日・祝日と8月12日~15日は20時まで開館(入館は19時30分まで)
休館日
毎週月曜日
(月曜が祝休日にあたる場合は翌平日)
※2024年8月12日~15日は開館し、8月16日に休館
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