展示・企画展示室

No.555

企画展示室2 黒田記念室

『日本書紀』の時代の筑紫

令和2年5月19日(火)~7月19日(日)

図3 人物埴輪(東光寺剣塚古墳)
図3 人物埴輪(東光寺剣塚古墳)

 宣化(せんか)天皇元年(536)5月の記事には「筑紫国は遠近の国々が朝貢してくるところ、往来の関門とするところ」とあり、筑紫を外交・人と物の移動管理の場とする王権の意識がうかがえます。この時修造された「那津(なのつ)の口(ほとり)の官家(みやけ)」には、賓客(ひんきゃく)をもてなすため、そして飢饉(ききん)に対応するために諸国から穀物が運ばれました。那珂川(なかがわ)流域の比恵(ひえ)遺跡群(博多区)で見つかった特徴的な遺構(図4)は、同時期の有田(ありた)遺跡群(早良区)でも出ており(図5)、これらは官家(屯倉(みやけ))に関わる建物だと考えられています。『書紀』では那津官家設置の8年ほど前、筑紫の豪族、磐井(いわい)が王権に対抗、鎮圧された記録があります。磐井の乱のあと6世紀中頃に造営された東光寺剣塚(とうこうじけんづか)古墳(博多区那珂遺跡群内)は、比恵遺跡群の南に位置する那珂川流域で最後の大型前方後円墳です(図3)。朝鮮半島とのつながりを示す遺物は博多湾岸各地で見つかり(図7・8)、一元的な支配構造に至ってはいないものの、『書紀』や遺構からは王権による筑紫支配の強まりをみてとれます。

図4 比恵遺跡群 官家推定遺構(6世紀後半)
図4 比恵遺跡群 官家推定遺構(6世紀後半)
図5 有田遺跡群 官家推定遺構(6世紀後半中頃~7世紀中頃)
図5 有田遺跡群 官家推定遺構(6世紀後半中頃~7世紀中頃)
図6 有田遺跡群 官衙遺構(7世紀後半前葉~8世紀前半)
図6 有田遺跡群 官衙遺構(7世紀後半前葉~8世紀前半)

 大化(たいか)元年(645) 乙巳(いっし)の変のあとには、諸国に評制(ひょうせい)がしかれ、法制度による国家体制が整えられていきました。有田遺跡群、那珂遺跡群のこの時期の官衙(かんが)跡は、官家を継ぐ形で置かれた郡衙(ぐんが)や大宰府(だざいふ)の前身拠点と考えられます(図1・6)。

 天智(てんじ)天皇2年(663)の白村江(はくすきのえ)の戦いの敗戦をうけ、筑紫には防衛政策として水城(みずき)をはじめとした「城」が築かれます。博多湾岸には防人(さきもり)も配置されますが、同じく天智朝以降、新羅との国交は盛んになり、博多湾に面した外交施設、筑紫館(つくしのむろつみ)が使節滞在の場となりました。こうして、『書紀』を通じて存在を示す筑紫は、大宰府(だざいふ)を中心とした次の『続日本紀(しょくにほんぎ)』の時代へ移行していきます。 (佐藤祐花)

図7 須恵器片(金武城田遺跡)
図7 須恵器片(金武城田遺跡)
図8 印花文器台付壺(頸部分)
図8 印花文器台付壺(頸部分)
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pressrelease

休館日

開館時間
9時30分〜17時30分
(入館は17時まで)
※2024年7月26日~8月25日の金・土・日・祝日と8月12日~15日は20時まで開館(入館は19時30分まで)
休館日
毎週月曜日
(月曜が祝休日にあたる場合は翌平日)
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