展示・体験学習室

No.433

企画展示室1・4

西鉄ライオンズと栄光の時代

平成26年7月23日(水)~9月28日(日)    企画展示室1(7月29日~)・企画展示室4(7月23日~)

もはや戦後ではない
 昭和20年代の子どもの生活は大人から管理されない、遊びを中心としたのびのびとしたものだったが、物質的にはまだ貧しい時代でした。それが昭和30年代後半からはじまる「神武(じんむ)景気」をきっかけとして、しだいに豊かになっていきました。昭和31年(1956)の「経済白書」は、「もはや戦後ではない」と、経済的には戦前の水準を抜いたことを誇っています。
 昭和30年代に入って生活は大きく変化していきました。同30年(1955)には、「神武景気」の波に乗り、まず電気洗濯機が急速に普及しはじめます。
 さらに、登場した家電製品の月賦(げっぷ)販売が庶民の購買意欲を刺激して、同32、33年頃の空前の家電ブームへとつながっていきます。中でも人気は、洗濯機、白黒テレビ、冷蔵庫に集まりました。この3製品は、「三種(さんしゅ)の神器(じんぎ)」と呼ばれました。
 そうしてこの「三種の神器」を備えることが文化程度の高さ、豊かさの象徴とされました。電気釜、ミキサー、電気ゴタツと家庭の電化とともに家庭生活は大きく変わっていきました。テレビも昭和30年代の終わり頃にはほとんどの家庭に普及し、社会と家庭を結ぶもの、ファッション、娯楽等の提供者として、またカラーテレビは文字通り、家庭に色彩をもたらすものとして欠くことのできないものとなっていきました。
 食生活での大きな変化はインスタント食品の登場です。昭和33年(1958)に日清食品からチキンラーメンが、昭和35年(1960)森永製菓からインスタント・コーヒーが発売され、インスタント時代へと突入していくことになります。

テレビに育てられた世代
 すべてのものが大きく揺れ動いた昭和30年代、子どもの日々はどうだったか。この時期、子どもに最も影響を与えたものはテレビでしょう。昭和30年(1955)4月、TBSが開局した当時、テレビ契約台数が5万台だったものが、31年の秋には30万台、32年には50万台、33年には100万台と順調に伸びていきました。皇太子と正田美智子さまの婚約発表はミッチー・ブームを呼び、34年には300万台を記録しています。次に爆発的にテレビが普及するのは昭和39年(1964)の第18回東京オリンピックで、このころほとんどの家庭にテレビは入りこんだとみてよいでしょう。
 30年代のどの時期にテレビと出会ったかによってテレビ体験が異なることはいうまでもありません。30年代の前半だと街頭に、友だちの家にと放浪するかのようにテレビを求めて歩きました。30年代後半になると、気づいた時にはテレビは家にあり、テレビの音声が子守歌だったという人が多いことでしょう。
 ちなみに、昭和34年4月の東京地区での高視聴率ベスト・テンは、「名犬ラッシー」、「私の秘密」、「スーパーマン」、「月光仮面」、「プロレスリング」、「ローンレンジャー」、「日真名氏(ひまなし)飛び出す」、「パパは何でも知っている」、「ダイヤル110番」、「銭形平次捕物控」でした。
 その後昭和38年(1963)1月から国産アニメ第1号である「鉄腕アトム」が放映され、次いで「鉄人28号」、「エイトマン」、「狼少年ケン」と続く。これらアニメのスポンサーはすべて食品会社、製菓会社で、アニメのキャラクターを製品の景品として活用し、子どもたちはキャラクターのシール、ワッペン、バッジ等の景品ほしさに製品を買い求めました。テレビ・コマーシャルも子どもをターゲットとするようになっていったのです。

テレビに育てられた世代
  • facebook
  • twitter
  • instagram
  • youtube

最新情報を配信中

pressrelease

休館日

開館時間
9時30分〜17時30分
(入館は17時まで)
※2024年7月26日~8月25日の金・土・日・祝日と8月12日~15日は20時まで開館(入館は19時30分まで)
休館日
毎週月曜日
(月曜が祝休日にあたる場合は翌平日)
※2024年8月12日~15日は開館し、8月16日に休館
※年末年始の休館日は12月28日から1月4日まで

Facata(博物館だより)

  • 福岡市博物館 市史編さん室
  • はかた伝統工芸館
  • ふくおか応援寄附
  • 福岡市の文化財

福岡市博物館

〒814-0001
福岡市早良区百道浜3丁目1-1
TEL:092-845-5011
FAX:092-845-5019