平成26年12月16日(火)~平成27年2月15日(日)
図3 | 石橋橋源一郎さんは、旧博多 下呉服町の当番法被を探して 写真の男性宅を訪れた。 |
集めるしあわせ②
集めたのは私の愛した博多
石橋源一郎(いしばしげんいちろう)さん(1901~1990)は、博多浜小路に昭和19(1944)年まであった造り酒屋・鳥羽屋に生まれました。博多に育った石橋さんは、博多の古謡や芸事に親しみ、それを守り伝える「博多那能津会(なのつかい)」や「博多を語る会」の中心人物としても知られています。
石橋さんは、趣味でたくさんの写真を撮影していました。それだけではなく、博多を写した古い写真も数多く複写していました。そこには、明治時代から昭和時代の博多の町の風景、博多松囃子(まつばやし)や博多祇園山笠(ぎおんやまかさ)などの祭事、節供や結婚式などの人生儀礼、芝居見物や旅行の様子などが写し込まれています。これらの写真は、今ではみることのできない、消えゆく博多の姿でした。写真は、6800点にもおよび、その一部は、写真集『博多、あの頃』『写真集博多』として出版されました。
また、博多における祝事の贈答品である筍干(しゅんかん)(飾り蒲鉾)の下絵、祝部至善(ほうりしぜん)の明治博多風俗図、博多
園山笠巡行図屏風など、博多の風習、祭事にかかわるものも集めていました。
戦後には、大博通りの整備によってなくなった町のことを記録するため、転居した旧町の家々を訪ね、散逸した山笠法被などを探し回ったこともあったようです。石橋さんが生涯にわたり集めたのは、失われつつあったかつての博多の姿であり、石橋さんは、それをとても愛していたようです。
図4 白鬚神社の秋祭り(おくんち)の供物 |
つくるしあわせ①
山のように盛ったささげもの
作物を無事に収穫できることは、生きていく上でとても重要なことでした。先人たちは、収穫の喜びを祭りというカタチをもって伝えてきました。市内でも、秋になると各地で収穫を祝う秋祭りが行われます。
西区能古島(のこのしま)の白鬚神社(しらひげじんじゃ)では、氏子らが、山のように盛られた蜜柑、柿、栗(モリモン)、塩漬けした小鯛(ナマノクサケ)、円錐形に盛ったご飯(オゴク)、一夜づくりの甘酒(オロヘイ)など、その年に収穫された作物を神に捧げ、感謝し、収穫の報告を行います。その後、神に捧げたものは地域で分け合い、皆で食べることになっています。
山のように盛られた捧げものは、豊作のイメージを目に見えるカタチとしてあわらしたものといえるでしょう。
つくるしあわせ②
縫い込まれたしあわせ
人生の大きな節目となる結婚には、花嫁の末永いしあわせを願ってさまざなものが揃(そろ)えられます。今ではあまり見かけなくなりましたが、婚礼の際には婚家に持参する重箱や布団、桐箪笥、裁縫箱、鏡台、袱紗などをあつらえていました。こうした婚礼の調度品は、鶴亀や松竹梅をはじめとする吉祥文様、紅白や金銀などの配色、さらには絹や漆などの材料が用いられており、めでたさをあらわす多くの要素が組み合わさっていることが分かります。
図1の「恵比須鯛釣図袱紗」は、博多区呉服町で使われた袱紗です。袱紗には、恵比須(豊漁豊作・商売繁盛)が釣り上げた鯛(目出度い)を唐子(家運隆盛・子孫繁栄)が魚籠に入れようとする様子がひとつの絵として表現されています。その動作には、たぐり寄せたしあわせを取りこぼすまいとする想いが込められているようです。
また、祝事を示す紅白の色づかいや細部にわたる数種類の絹の使い分けなどには、つくる際の気遣いがみられます。ひと針ひと針丁寧につくられた袱紗には、しあわせを思う気持ちが縫い込まれています。
(河口綾香)
おもな展示資料
●大神常吉肖像 大神皓資料 2009P2542
●娘別品競番付 館蔵資料 1988B5142~3
●博多の写真 石橋源一郎資料 1999P2113ほか
●筍干下絵 石橋源一郎資料 1989P3515ほか
●マッチラベル 藤本健八資料 1999P9540ほか
●幸木 館蔵資料
●能古島おくんちのモリモン 館蔵資料
●七符 館蔵資料
●袖無半纏 三浦悦子資料 2009P2226
●裁縫箱 相場国次郎資料 2002P3251
●恵比須鯛釣図袱紗 花田イト資料 1987P3578
●嫁御風呂敷 溝上理江子資料 2009P2333
●夜着 溝上理江子資料 2009P2310
関連展示
福岡市博物館 企画展示室2
「愛のキセキ」
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福岡アジア美術館 アジアギャラリーB
「女神のささやき」
平成26年12月11日(木)~平成27年2月24日(火)
福岡市美術館 古美術企画展示室
「いにしえの恋バナ」
平成27年2月3日(火)~4月12日(日)